漫画と北国とわたし

ゴールデンカムイの考察だの感想だの聖地巡礼だのをつれづれと。本誌ネタバレ含みます。(他作品語るブログはじめました→ https://mochimochihq.hateblo.jp/ )

【本誌ネタバレ含】いま再びの鯉登親子

鯉登親子の記事、第2弾です。
定期的に鯉登親子に愛を叫びだす病が発病したのと、14巻が発売されて鯉登パパの素晴らしさが世間に広まった記念に書いていきたいと思います。
本誌でも音之進が再登場しましたしね!!


14巻感想でも書きましたが139話の鯉登少将、めちゃめちゃかっこよかったですね!!!
ほんの2ページであんなに心に響くこと言う人いる?みたいな。
あんなに自分の思いを誠心誠意言葉にする人いる?みたいな。

「杉元どん」から始まるあの台詞は、鯉登少将の色~んな思いが込められていると思うんです。
というわけで鯉登少将の台詞を見て一つずつ素晴らしさを語るという暑苦しいことしていきますね。
誰得?俺得です!!
当時の将校の考え方のどうのこうのとかそういうのちゃんと調べたわけじゃないのでデタラメだらけです。
誰得?俺得です!!!(二度目)



まず、甲板で佇む杉元に鯉登少将が「杉元どん」と呼び掛け、杉元が「「可愛い子には旅をさせよ」のつもりですか?死体で帰ってくるかもしれませんよ」と言うわけですね。
それに対して、鯉登少将は
「いつ死んでも覚悟はできちょる」と。


なんっか…ここからすでに心掴まれる。
だって、「覚悟」はできてるんですよ?
「軍人になった時から死んだものと思うようにしてる」とか「軍人たるもの…」とかそんな突き放した言葉とか客観的な一般論とかそんな言葉ではなく、
鯉登パパの本人の心からの気持ちなんですよねきっとこの「覚悟はできちょる」は。


そして鯉登少将の言葉は続いて、

「せがれの音之進はいずれ指揮官になっち決まっちょります
指揮官には大勢の若い命を預かる責任があっど
せがれには我から進んで困難に立ち向かい ふさわしい男になっくいやんせ」


ここもさぁ、自分と同じ指揮官となる息子に対する様々な思いが交差していますよね。
期待と信頼と愛情と、でもまだ頼りないから行く末を案じてもいると。


続く花沢中将の手紙の話で、

中将は手紙で「息子が前線で死んで愚かな父の面目を保ってくれた」と言っていて、鯉登少将もその考え方に共感を持っていますよね。ここに鯉登少将(と花沢中将?手紙を花沢中将が書いていれば)の死生観が現れてると思ったんですよ。
つまり死が美化されるという思想なのですけれど…これはきっと土方さんと犬童の話であった「殉教」に近くて、この世代までは死は美化されるものでもあったと思うんです。
(杉元の発想はどちらかというと現代よりというか、死は死んだらおしまいだという考えなのかなぁと思ったり。)

もちろん鯉登少将は指揮官として多くの死を見続けてきたから、その死を美化しなくてはならなかったという側面も多分にあったとも思います…
指揮官としての戦争に対する責任の一つとして、死を無駄なものと思ってはならないと思ってるかもしれないなと。


鯉登少将は、責任を負うことが自分の「役目」だと思ってるのかなあと思うのです。
自分には多くの責任があると思ってる。
戦争を起こした責任、大勢の若者を戦地に送りだした責任、そして大勢の戦友をあの世へ送り出し、自分は生きているという責任。
指揮官になる人間を育てた親としての責任、戦争を起こした軍人としての責任…
全てを背負って指揮官として生きている鯉登少将。

だから、冒頭の「いつ死んでも覚悟はできちょる」が余計に心に響くというか…音之進を危険な旅路に送り出す覚悟が泣けるというか。
息子を危険な旅路に送り出すというのは、責任を負った自分を律しての行動であるわけで。
でも一方で息子の行く末を信じて期待もしていて、やっぱり「可愛い子には旅をさせよ」なんだろうなと思うし…
その結果死ぬことになっても覚悟はできてる、そんな気持ちがあるのではないかと。


そんな鯉登少将だから、のっぺら坊についても理解を示すことができるわけですね。

アイヌに「戦って死ね」とうながすったれば まず我が子供を先頭に立たすっとが筋じゃっど…
娘ば利用しようちして育てたんとは絶対違どと思うちょります」

人を率いるという特殊な立場だからこそ自分の息子にかける期待と愛情が特異ものになってしまう。
その自分の息子への思いと、のっぺら坊のアシリパさんへの思いをリンクさせて語っているのですね。


杉元は、アシリパさんをアイヌジャンヌダルクにしようとしているのっぺら坊のことがどうしても許せなくて、なぜ娘にそんな重荷を背負わせるのか疑問で、近くでアシリパさんのことを見ていたから尚更その思いは深くて…
しかもアシリパさんと離れ離れになっちゃったから、どうしようもなく苦しんでる。

そんな杉元の苦しみを、この言葉で鯉登少将は少し和らげ、その先を導いてる。
(杉元は腑に落ちてはいないけど、少しだけ納得したのかなと思いますし…そんな考えもあるのか…みたいな。)
自分の息子と旅をする若者に誠心誠意伝える言葉が、その若者を救う言葉とか…素晴らしい。


鯉登少将の言葉に重みがあるのは自らに課した責任と、歩いてきた人生の重さなのですね。


…ということで何が言いたいかっていうと鯉登パパ最高。
139話のあの2ページはカラーにして部屋に貼りたい。



さてさて、音之進についても少し考えてみます。

音之進は樺太旅で色々な経験をしているわけですが、この旅で鶴見中尉の洗脳(?)は解けたりするんでしょうか。

鯉登少将が樺太行かせたのはそれもちょっと目的なのかなと思ったり思わなかったり。
まあ洗脳がどうこうというより、もっと広い世界を見てほしいから送り出したわけだから、その上で鶴見中尉の部下としてだけじゃなくてもっと自分の道を見つけてほしい、みたいなこと?
軍にいて、鶴見中尉の下にいるだけでは見えない世界はたくさんありますものね。


樺太サーカス編で、エノノカちゃんが音之進のこと「鯉登ニシパ」って呼んでたじゃないですか。(投げ接吻のとこです。)
あのシーン、なんか新たな音之進を見れた気がしてとてもいいな~と思ったんです。
だって「ニシパ」なんて音之進がいた世界では絶対呼ばれないわけだし。新しい世界が開けたな音之進、みたいな。(何目線だ)

スチェンカでロシア人と武器ではなく拳で殴りあったり、狂乱した仲間を信じて助太刀しようか迷ったり、刺青囚人を殺すだけじゃない選択肢を見たり(最初は岩息のこと射殺して皮を剥ぐって言ってましたから逃がすってのは戸惑ったろうなぁと)、果てはサーカスで結構一生懸命練習して曲芸見せたり接吻投げたり…

これを多少文句言いつつも素直に受け入れてるのが彼の成長性であるなと思うのです。
この旅で視野が広がり、立派な人間として、指揮官としての未来に繋がるんだなぁと思います。

これを見越しているなら鯉登少将素晴らしすぎるね。


音之進の「役目」は何だろうと考えた時に、登場当初は鶴見中尉の下で働くことなのかなと思っていたんですがおそらく違くて、鯉登少将の言葉から考えるとそれは、
大勢の命を預かるに相応しい立派な人間になること
なんだろうなあと思うので、やはり彼はこれからの成長が最も重要なキャラなのですね!!
楽しみだ音之進。
大好きだ音之進。


なんにしても樺太編は新しい音之進が見えて非常によろしいですね。素晴らしい。素晴らしいぞエノノカちゃん。
(関係ないけどスチェンカの杉元の「妙案」を最後まで信じてた音之進がすごく好き。)
(スチェンカ編とサーカス編はいずれ個別に感想書きたい。)


というわけで、鯉登親子への愛を叫ぶ発作による色々偏ったブログでした。





ここからは与太話。


音之進はさ、最終鶴見中尉と袂を分かって最後はぜひ鶴見中尉を撃つのかな撃ってほしいな、というのは何度も言ってますが、
理由の一つとしては立派な父上を持つ音之進にとって、巣立ちの通過儀礼の相手はきっと鶴見中尉なんだろな~とぼんやり思ったりしてるわけなんです。
で、鶴見中尉が乗っ取ろうとしていた第七師団の、最後の師団長になったりするんだろうか…などと妄想してます。(だって音之進のモデルはきっと最後の師団長の鯉登行一中将かなと思うし…)
音之進は鶴見中尉を殺そうとするけど、遺志を受け継いではいて、ちゃんと自分なりに軍と日本を思う指揮官になっていく気がします。

鶴見中尉を撃つ際にはぜひ、標準語で、はっきりと鶴見中尉に話しかけてほしいですね。
そこで音之進は鶴見中尉から巣立ちできると。

…と思うのと同時に音之進はやっぱり殺せなくて、結局二階堂が…って感じかもとか妄想してます。


…やばい、妄想で泣けてきた(情緒不安定か)。


音之進は、勇作さんの失われた未来の姿で、尾形と月島が手に出来なかった眩しい過去の姿で…
とか考えると音之進って本当に眩しい!未来ある!
アシリパさんとはまた別のベクトルの未来が!!

もう音之進には期待しかない。



おわれ。


第一弾はコチラ↓
mochikuchen.hatenablog.com