漫画と北国とわたし

ゴールデンカムイの考察だの感想だの聖地巡礼だのをつれづれと。本誌ネタバレ含みます。(他作品語るブログはじめました→ https://mochimochihq.hateblo.jp/ )

19巻感想(後編:キロランケについて語るvol.5)(本誌ネタバレ含)

キロちゃんについて考えてみます。もう何回目?!という突っ込みは受け付けます!!


初めてじゃないですか、旅の仲間が死んじゃったのって。
推しとか推しじゃないとか以前にすごい悲しくないですか?悲しいですよねわかります(なんだお前)

それは彼の死がある種のもの悲しさをまとっているからだと思うんです。で、そのもの悲しさの正体は「報われなさ」に起因しているんじゃないだろうかとわたしは考えました。

キロちゃんて最終的に欲しかったもの何も掴めててないんですよね。革命も愛も金塊も6巻で言っていた「見届けたい」という思いも、何もかも報われてない。
キロちゃんのアイデンティティって多分「少数民族」で、それには国も民族も関係なくて、「アイヌのキロランケ」も同様にキロちゃんのアイデンティティだと思えるのですが、そう考えるとキロちゃんが死際にアシリパさんに言った
「あとは頼んだぞアシリパ…!!「俺たち」のために」
樺太やロシアの少数民族、そしてアイヌをも包括していたんじゃないかなと思うわけです。

少し引いた視点から見てもキロちゃんて故郷を奪われ大国に飲み込まれそうになりながら必死で戦った「少数民族の象徴」だなぁと思うのです。
で、その報われない境遇って多分これまでの歴史で社会的弱者が当たり前に享受させられてきたものだと思うのです。
それを体現して死んでいったのがキロちゃんなわけで、だからこそその死には悲哀が漂っているのかなぁと。

でもそのキロちゃんの死を目の当たりにしたアシリパさんは思うところがないわけはなくて、白石だってその二人の思いを理解しているからこそ211話でのあの発言だったわけなので…
キロちゃんは樺太でたくさんの物語を聞かせていたわけですが、それ以上に彼の生き様というか、彼の存在自体がアシリパさんに語ったことってたくさんあると思います。

そういう意味で、キロちゃんはアシリパさんにとって…というか作中での「父親性」の一旦も担っていたんじゃないかと思いました。
ウィルクの話をしてアシリパさんにその記憶を呼び覚まさせる役目とはまた別に、外界へ導いて成長させる役目を持つ存在というか。キロちゃんによって実際にアシリパさんは樺太の旅で自分の意志で役目を見つけたわけですので。


鶴見中尉は意図して江渡貝くんや月島軍曹や師団の彼らの親役となって彼らを懐柔したわけですが、
キロちゃんは期せずというか結果としてそうなっていて、(鶴見)劇場を作ったり精神的支配ではなく、ありのままの自分たちの過去・現在・未来を、加えて自分の生き様を見せることで、彼はアシリパさんの父親の役目を果たしたんじゃないかなと思っているのです。
最期まで「逃げるぞアシリパ」と戦おうとして、金塊の在り処を聞き出そうともせずアシリパさんを信じて「良かった…」と微笑んで、最後まで目を閉じることなく死んでいって、キロちゃんは自分の日常や幸せを捨てて色んなものを犠牲にして戦って死んだのですが、彼がそこまでして遺したものはちゃんとアシリパさんに届いたなぁと思うんです。


「父親性」でいえば、キロちゃんの走馬灯には子どもたちがたくさんいたじゃないですか。
で、ウィルクが「生まれてくる子どもたちは言葉も神様も忘れてしまうだろう」と言っていた所を見ると、彼らが戦う理由の芯は「次世代に自分たちの神様・文化受け継ぐこと」だと思えます。
だからそういう意味でも彼(彼ら)は作中の父親性を背負っていたのかなと。
ゴールデンカムイは親を失うことで子どもが巣立つ、ということが度々描かれているので、だからアシリパさんを成長させる役目を終えた「親」であるキロちゃんは死んでしまったのかななんて…

作品の中での「父親性」も担っていたキロちゃん…、なんか…キロちゃん、実際の自分の息子のことは置いてきちゃったわけだけど、息子たちのために戦ったって、そのことも息子たちに伝わるといいなと思いました。


さて、突然ですがここでキロちゃんて実は嘘ついてないんじゃないか説を考えてみたいですね。
なぜかと言えばアシリパさんにとっての父親性を担うキロちゃんの口から語られた言葉って重要じゃないですか、みたいな。どう描かれているのかって結構深くみていきたいテーマだな、みたいな。なんて言ってますがこれはずっと思っていたことなので語りたいがためのこじつけだな、みたいな。

どこかの記事でも言いましたが17巻でキロちゃんが名前を打ち明けるところ見ると、なんかキロちゃんて「嘘はつくまい」と思ってるっぽいよなと思っていたんですよね。
で、この説を唱える上で一番ひっかかる発言なのってキロちゃんの登場時6巻の金塊レースに参加する理由と、13巻網走での「俺たちがマレクと呼んでる鉤銛~」だと思うんです。

まず6巻、なんて言ってたかなと読んでみると
アイヌの金塊を奪ったこと 俺は同じ国から来た人間として責任を感じる」
「お前たちが相応の取り分を望むのは構わないが残りは返すべきだ」
「最後まで見届けたい」
キロちゃんて取りようによって意味が変わる系の台詞を多用してるんですけど(「わからない」とか)これもそんな感じ…?(聞くな)
責任を感じてる意味はよく分からないんですが、「残りは返すべき」は13巻117話の
「俺の息子たちは北海道のアイヌだ」「金塊はこの土地のアイヌのために存在している」
と同じこと言っててそこは一貫してるんですよね。
だからこそ網走での裏切りに驚いたんですど、、、キロちゃんはウィルクの思想に傾倒してて、連合国家を作りたいって話はやっぱりあると思うので、だから金塊を使ってアイヌの人々が神様を奪われることなく暮らせるようにするから、それが「返す」ってことなのかな。意訳ですが。
でもそんなこと杉元たちに言ったら猛反発だろうからちゃんと全部やり遂げてから判断してほしくて裏切りととられる行為をしてしまったわけで…
…こんな感じだったらいいな~(希望)

さ、次、13巻125話の「俺達がマレクと呼んでる鉤銛」。
キロちゃんて自分のことをアイヌとは言ってなかったのでこの台詞がちょっと不思議な感じがしたんですけども、この記事の冒頭で言いましたアイデンティティの話がここにかかってくるのかなと。
つまりアイヌとして暮らしていたキロちゃんもキロちゃんで、「俺たち」なのではないかなと思いました。

…キロちゃんの台詞の解釈って難しいんですけど、でもなんとなく彼は誠実であろうとする姿勢がみられるので、ちょっと語ってみたわけでした。


でも「裏切り」で言えば実際のところウィルクを殺した理由はよくわかりませんよね。
わたしアイヌを殺したのはキロちゃんだとだいぶ昔に言うてましたが今は正直違うのではないかと思ってます。
殺されてるのを見つけて、持ち物に傷をつけたのがキロちゃんなんじゃないかなって…そう思いたいみたいなところもあります。わからないですけども。

なんか過去の回想のキロちゃんと、アシリパさんたちと旅をしてるキロちゃんてなんか、違わないですか?
変わったのは実はキロちゃんだったんじゃないかな説はこの記事(183話感想(後編:考察(ウイルクとキロランケ)))で書いてるので暇でしょうがない時にでもチラ見していただけたらなんですが、なんか、裏切ったのってどっちなんだろ…お互い道が違っちゃったのかな…みたいな!難しい!今後の展開を待ちたい!

ゴールデンカムイって人間の二面性を描くのが巧みなので、例にもれずキロちゃんもそうなのですが、
見方によってはいろんな者を裏切っていろんなものを捨てて生きてきたのに、谷垣にとどめをさせなかったりあざらしに気を取られてしまったり、キロランケは人間らしくて弱いわけですよね。狼のようなウィルクを愛していた理由はそこにあるんだなぁと。きっと狼のようになりたかっただろうなと。
でもきっとウィルクに裏切られたって思いがあって、それでウィルクを殺したのかなぁ…どうなんでしょう。


でもね、でもですよ!!最後に最終ページの加筆について語りますね。


19巻最終ページ、キロちゃんの名前を呼ぶアシリパさんの声の背景には、雲の切れ間から日光が差し込む現象、通称「天使のはしご」が描かれました。この描写は本誌掲載時にはなくて単行本の加筆です。

そもそも「天使のはしご」は旧約聖書エサウヤコブの物語のシーンからヤコブのはしごとも呼ばれています。ヤコブが雲の切れ間から差す光の中を天使が行き来していた夢を見たことからその名がついたのですが、実はこのヤコブは父や兄を裏切っていて、それでも最期は天使のはしごにより祝福を受けるのです。

父や兄を裏切った男への祝福、というワードにキロちゃんを思い出さずにはいられなくないですか?
裏切り者への祝福というのは現代の善悪の理念からは遠いものではありますが、ゴールデンカムイって善悪はきっちり分けられるものではないということを描いている作品で、更には「祝福」がテーマの一つでもあるので、

この加筆された「天使のはしご」の美しい描写によって、キロちゃんは祝福されて天に昇っていったんだと思えるわけです。

例え裏切っていようと嘘つきだろうと、弱者への優しさを持って最期まで戦ったキロランケは「祝福」されて天に昇った、すんなりとそう思える描写、素晴らしいです。泣いてます。


わたしは初めてキロちゃん語り記事(キロランケについて語る )を書いた時からキロちゃんは死ぬと思ってましたが、彼には7巻で馬に乗って駆け抜けていったようなそんな光の中で生を終えてほしいと思ってて、それが叶ってよかったなキロちゃんが光の中で眠れてよかったな…と、この加筆によって思った次第でした。



…以上、泣きながら書きました。

小難しいこと色々書いてみましたが結局!キロちゃんてなんか色々ほの暗い感じだったけども家族捨ててるしテロリストだけども!優しいいい男!!!(結論がそれ)


わたしはご存知の通りキロちゃん大好きなのでまたなんか書いてしまうかもしれませんがその時はまたどうぞよろしく(?)
だってほら、ソフィアさんへの手紙でなんかあるでしょ。すごい事実があるでしょ知ってる。

 

ていうか今ふと思ったんですけどキロちゃん、家を出る時の「畑を耕す時期までには帰ってこよう」が唯一の嘘になっているんだとしたら…泣くじゃん。



というわけで19巻感想でした。お付き合いありがとうございました。


涙拭きます。

 

 

前編はこちら

mochikuchen.hatenablog.com